スペシャル対談 Special Talk

受け継いだ想いを、次の世代へ

創業者と現代表が語る、平川接骨院50年の歩み。
1976年の開業以来、地域の方々に支えられながら歩み続けてきた平川接骨院。

小さな接骨院から始まったその歴史は、創業者である先代、院を守り続けた事務長、そして現在の代表へと受け継がれてきました。

創業50周年という節目を迎えるにあたり、創業当時から平川接骨院を支えてきた事務長と、その想いを受け継ぐ平川社長に、これまでの歩みや家族の記憶、そして未来への想いを語ってもらいました。

Member

平川 憲秀

代表者 平川 憲秀

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平川 憲子

事務長 平川 憲子

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スペシャルトークメンバー写真

接骨院とともに過ごした幼少期

患者さんに、人に、真剣に向き合う

事務長

事務長

院長には兄がいるのですが、兄はどちらかというと、きっちりした子でした。一方、弟である院長は、シャツが少しくらい出ていても気にしないような、おちゃめで優しい子でしたね。

代表

代表

僕から見た母は、厳しかった印象が強いかな。

事務長

事務長

そう? 優しかったと思うけどな(笑)。

代表

代表

僕が保育園や小学校に通っていた頃は、父と母が自宅の1階で接骨院をしていました。学校から帰ってきても、母は家にいるというより、1階の接骨院で仕事をしている。家族でゆっくり過ごす時間は、あまりなかったように思います。ただ、1階へ行けば両親がいるので、接骨院が生活の中にあることが当たり前でした。当時は、住居部分にお風呂がありませんでした。接骨院の中にお風呂場はあったのですが、包帯を干したり、物を置いたりするスペースになっていて、家族は毎日近くの銭湯へ通っていました。

事務長

事務長

子どもたちを連れて、みんなで銭湯へ行っていましたね。

代表

代表

今振り返ると、それも接骨院と一緒に暮らしていた頃の大切な思い出です。

今振り返ると、それも接骨院と一緒に暮らしていた頃の大切な思い出です。

何もないところから始まった、小さな接骨院

50年前、先代が開業されたきっかけを教えてください。

事務長

事務長

結婚した当時、主人は鍼灸・マッサージと柔道整復師の学校に通う最終学年でした。まだ収入もなく、「どうしてこのタイミングで結婚したのかな」と思うくらいでした(笑)。
主人の兄が柔道整復師とレントゲン技師で、すでに開業していました。そうした縁もあり、主人もこの道へ進みました。資格を取った後、私たちはここへ引っ越し、主人が25歳の時に開業しました。長男が生まれて、まだ半年もたっていない頃です。

代表

代表

生後4か月ほどの子どもを抱えての開業だったんだよね。

事務長

事務長

当時の建物は、今の3分の1ほどの広さでした。玄関が一つあり、2階には二間の住居があるだけです。何か特別な準備が整っていたわけではありません。若かったからこそ、必死にやってこられたのだと思います。


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軌道に乗り始めたのは、いつ頃だったのでしょうか。

事務長

事務長

当時は近隣に接骨院が少なく、高齢者の保険制度も手厚い時代でした。開業から1年半ほどで、1日に30人から50人ほどの患者様が来てくださるようになったと思います。

創業当時の平川接骨院。小さな院から、50年の歩みが始まりました。

家族みんなで支えた日々

当時は、現在のように必要なものがすべて既製品として用意されている時代ではありませんでした。治療に使うガーゼは、自分たちで大きさをそろえて切る。使用した包帯は洗濯し、乾かした後、滅菌のためにアイロンをかける。診療以外にも、多くの手作業が必要でした。

事務長

事務長

包帯やガーゼを洗って、乾かして、アイロンをかける。その量が本当に多かったですね。土曜日の夜まで診療して、休みは日曜日だけでした。土曜日の仕事が終わると、使用したものをすべて洗濯し、日曜日の夜には、月曜日から使えるように準備をする。子育てをしながらでしたので、時間に追われる毎日でした。

代表

代表

僕も小学校低学年の頃から、包帯を巻いたり、お灸の準備をしたりしていました。アルバイトというより、家族の手伝いですね。

事務長

事務長

手巻きの包帯を、よく巻いてもらっていました(笑)。院の仕事と家族の暮らしは、完全に一つでした。

突然訪れた危機。それでも、院を閉じなかった理由。

平川接骨院に大きな転機が訪れたのは、現在の建物を建てて間もない頃でした。先代の体調が徐々に悪化し、院長として仕事を続けることが難しくなったのです。

事務長

事務長

最初は、疲れからくる体調不良だと思っていました。しかし、なかなか良くならず、次第に仕事を続けられない状態になっていきました。接骨院を続けるには、資格を持った先生に来ていただかなければなりません。資格のない仕事であれば、私が頑張ったり、身近な人に手伝ってもらったりできます。でも、資格者を雇うことは簡単ではありませんでした。鍼灸の学校まで、求人のお願いに出向いたこともあります。

代表

代表

当時、父は唯一の資格者であり、院長でした。普通なら、そこで接骨院を閉める選択肢もあったと思います。でも、実際には閉められなかったんです。

事務長

事務長

現在の建物を建てたばかりで、借り入れが残っていました。建物を売って借金を返しても、家族が新たに暮らす場所を用意するお金は残らない。私一人が外へ働きに出ても、家族を養うことはできません。そう考えた時、「ここで続けるしかない」と思いました。

代表

代表

本住宅ローンではなく、事業用の借り入れだったため、父が病気で働けなくなっても、借金はなくなりませんでした。辞めても借金が残る。だから、母は院を守ることを選んだんです。

突然の危機の中でも、院を守り、家族を支え続けた事務長

「自分が継ぐんだ」と、自然に受け止めた。

平川社長が、院を継ぐことを意識したのは、いつ頃でしたか。

代表

代表

家族で改まって話し合った記憶はありません。兄は別の仕事へ進み、父の体調もなかなか回復しない。高校1年生くらいの頃に、「これは誰かがやらなければならない」「自分が継ぐんだろうな」と自然に思うようになりました。それを嫌だと思うこともありませんでした。
「本当は別のことをやりたいのに、継がなければならない」という葛藤もなかったです。
家業なので、「そういうものなんだろうな」と受け止めていました。

事務長

事務長

本当に、自然な流れでしたね。

代表

代表

当時は柔道整復師の学校が少なく、入学すること自体が大変でした。業界内のつながりもなかったため、知人のつてをたどって、名古屋の学校を紹介してもらいました。無事に合格して、最初は名古屋で一人暮らしを始めました。

事務長

事務長

毎日のように電話がかかってきましたよ。「今夜のごはんは、どうしたらいいの?」という食事の相談ばかりで(笑)。ある時、「もう無理」と言って帰ってきたら、すっかり痩せていました。

代表

代表

そんなことはなかったと思うけどな(笑)。

事務長

事務長

その後は、京都から新幹線で通うことになりました。

一緒に働いた一年間は、けんかばかり

平川社長が、院を継ぐことを意識したのは、いつ頃でしたか。

代表

代表

私が24歳で実家へ戻った後、最初の1年間は事務長と一緒に働きました。その1年間は、喧嘩ばかりでした(笑)。親の言うことは、何を言われても図星なので、余計に腹が立つんですよね。

ただ、その時に母から言われたことで、今でも大切にしていることが二つあります。一つは、「弱い立場にある人を大切にしなさい」ということです。身体に痛みを抱えている方や、さまざまな事情を抱えている方を大切にする。それは父も、ずっと実践してきたことでした。地域の方々に認めていただくためには、目の前の人を大切にすることが何より大事なのだと教えられました。もう一つは、「知ったかぶりをしてはいけない」ということです。僕は24歳で院長となり、その後は社長と呼ばれるようになりました。若くして上に立ったからこそ、「分からないので教えてください」と、素直に頭を下げられる人にならなければ、誰も何も教えてくれない。母自身も、分からないことは周囲の方々に教えてもらい、助けてもらいながら、院を守ってきました。

人を大切にすること。分からないことは、素直に教えてもらうこと。この二つは、平川接骨院が50年間続いてきた理由の一つだと思っています。

事務長

事務長

今、そのことを覚えてくれていたことが、とても嬉しいです。私もずっと、そういう気持ちで続けてきました。多くの方に助けていただき、従業員の先生方にも支えていただいたからこそ、息子へ引き継ぐことができました。その気持ちまで受け継いでくれていることが、本当に嬉しいです。


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「人を大切にすること。分からないことは、素直に教えてもらうこと。」

親子だからこそ感じる、互いへの尊敬

お互いに尊敬しているところを教えてください。

代表

代表

僕は、もともと少しルーズな性格です。一方で母は、時間を守り、事前の準備もきちんとする。そういうところは本当にすごいと思います。何より、父が倒れてから、接骨院を一人で切り盛りしてきました。そこが一番尊敬しているところです。

事務長

事務長

私は、仕事を一生懸命しながら、家庭も大切にしているところです。子どもたちに真剣に向き合い、良い父親であろうとしている。それは本当にすごいことだと思います。子どもを大切にしていることが、そばで見ていてもよく分かります。そこは尊敬していますし、ありがたいと思っています。会社も大きくしてくれましたしね(笑)。

代表

代表

なんとかね(笑)。

50年続いた院を、次の世代へつないでいく

これから先、平川接骨院にはどのような場所であってほしいですか。

事務長

事務長

これから世の中が、どのように変わっていくのかは分かりません。ただ、接骨院の仕事には、コンピューターや機械だけでは代わることのできない、人を癒やす部分があると思います。身体だけではなく、気持ちの面でも安心していただける場所として、これからも多くの方に利用していただきたいですね。

代表

代表

これまでは、「後を継いだ」ということを、それほど強く意識してきませんでした。でも、創業50周年という節目を迎え、改めて考えるようになりました。50年も続いてきた接骨院を、自分の代で終わらせるわけにはいかない。適切な形で、次の世代へ渡していかなければならないと感じています。今も通ってくださっている患者様がいます。そして、ここで働く社員やスタッフにとっては、生活を支える大切な仕事の場でもあります。多くの方から頼りにしていただいている以上、その期待を裏切ってはいけないと思っています。歴史や人とのつながりは、一度途切れてしまえば、そこで終わってしまいます。どのような形になるにしても、このつながりを次の世代へ残していきたい。最近になって、そうした責任感を強く持つようになりました。


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「50年続いてきた院を、適切な形で次の世代へ渡していきたい。」

50周年を迎えた今、伝えたいこと

50周年を迎えた今、お互いに伝えたいことをお願いします。

事務長

事務長

私も年齢を重ね、これから先、どれくらい見届けられるかは分かりません。だからこそ、兄弟で仲良くして、事業に励んでほしい。それに尽きます。もちろん、家族も大切にしてほしいです。仕事の面では、自分が信じて「こうしよう」と決めたことに向かって、まっすぐ進んでほしいと思っています。

代表

代表

大変な時代を乗り越え、これだけ立派な院を僕に引き継いでくれて、本当にありがとうございます。僕が引き継いだ時には、まだ土地と建物のローンが残っていました。金利が高い時期の借り入れで、返済も大変でした。そうした状況を乗り越え、この土地と建物、そして接骨院が今も残っている。それ自体が、一つの奇跡だと思っています。そのことに感謝しながら、さらに次の世代へつなげていきたいと思っています。

これまで支えてくださった、すべての方へ

代表

代表

まずは、創業者である父に感謝しています。そして、その父を支え、僕へバトンタッチしてくれた母に、改めて感謝しています。患者様も、働いてくれるスタッフも、どこかでつながりが途切れていたら、今の僕たちはここにいません。この50年間にあった、すべての時間と出来事がつながって、今があります。今があることを当たり前だと思わず、感謝しながら、次へ進んでいきたいと思います。

事務長

事務長

一緒に働いてくださった鍼灸師の先生、柔道整復師の先生方、受付や助手として私を支えてくださった方々に、今でも感謝しています。今でも、お一人おひとりの顔が浮かびます。その方々に、改めて「ありがとうございました」と伝えたいです。そして、何も言わず、陰でここまで頑張ってくれた息子にも感謝しています。本当にありがとうございます。

受け継がれてきた想いとともに、これからも


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平川接骨院の50年は、決して順風満帆な歩みではありませんでした。

家族で力を合わせた創業期。
突然訪れた先代の病気。
院を守り続けるという決断。
そして、次の世代への継承。

その一つひとつの出来事と、支えてくださった多くの方々とのご縁がつながり、現在の平川接骨院があります。

これまで受け継いできた、目の前の人を大切にする心。
そして、分からないことを素直に学び、周囲への感謝を忘れない姿勢。

平川接骨院は、その想いをこれからも大切にしながら、地域の皆様に寄り添い、次の50年へと歩み続けてまいります。